年齢とともに増大する無意識
30代の頃はそうは思わなかったのですが、50歳も近くなると、自分の意識に対して無意識の占める割合が次第に大きくなっているような気がします。
ユングは、無意識を浜辺に座って眺めている海に例えています。私たちは決して無意識それ自体を知ることはできない。知ることができるのは、意識に登場する無意識的な部分だけであるとも言っています。浜辺の波はそのような意識に現れる限りでの無意識を指しているのでしょう。
無意識は、何も深淵なものであるだけではなく、私たちにとっては、私たちの意識意外のすべてを指します。
たとえば、私たちの出会う他人。これはすべて私の無意識の投影でもあります。向こうから嫌な人が来た、と思ったら、それはその人自身の独立した性格以外に、私たちがその人に投影している私たち自身の無意識が大きく影響しています。そして、ここが大切なのですが、私たちの意識が見るのはその人自身というよりも、私たちが無意識的に投影している私たちの無意識なのです。
また、私たちの身体。これも私たちの無意識を代表するものです。
首筋が凝っていたり、お腹の調子が悪かったりするのも、結構私たちの無意識の仕業であることが多いものです。
それだけでなく、そんなこと言うつもりもないのにと思っていてつい言ってしまったり、そんな表情をするつもりないのにと思っていて、つい冷酷な表情になってしまったり、また咳をするはずがないのにと安心していて咳が止まらなくなったり、無意識の仕業であることが少なくありません。
年をとってだんだん心身の柔軟性がなくなっていくと、よりいっそうあからさまn形で私たちの身体を使って「無意識」が暴れだします。
もう自分の意識のコントロールなど遠く及ばなくなります。
まるで身体がひとつの国のようで、しかも意識の支配が及ぶのは自分の身体なのにほんの一部、あとは無意識という反乱軍やゲリラがあちこちを占領して軍事政権を樹立しているのです。
しかも、意識の中に巧みにスパイを送り込んだり、影武者を立てたりします。
こうなってくると、意識には少なくとも、意識の領域で無意識を制圧することさえおぼつかなくなります。
人生がおもうようにいかないのはこのためもあります。
じっくり自分のこころを見つめる必要があるのです。