カルトという非難

 私どものセラピールームではたまにグループセッションのようなものをひらいています。それは、まだセッションを受けたことがない、一人で受けるのにはまだ不安があるという方のために、実際のセッションがどのようなものか実体験してもらう目的もひとつあります。
 そこで、実際のセッションのやり方を納得される方もおりますし、中にはもう結構と拒否感を示される方もいます。
 グループであろうと個人のセッションであろうと、基本はクライアントの方の気持ちに沿ってクライアントの方が抱えている問題に焦点をあてていくというごくオーソドックスな方法をとっています。なので、誰かの抱えている問題を当てたり予言したりというような神がかり的なことは一切ありません。しかし、拒否感を示される方の中には、このような一種「カルト」と同一視される方もいらっしゃいます。カルトの特徴に信者獲得のために特殊な人工的な環境を設定して洗脳を行うことが挙げられます。つまり大音量である種の音楽を流している密室であるとか大勢がいる中で普通ではありえない状況をつくっておいて理性的な判断力を弱め善悪の基準を脆弱にしたうえで、新たな考えを注入する方法のことです。洗脳の方法は中国共産党が文化大革命の時代に有産階級出身者に対して行ったり、60年代アメリカの国防総省で研究されたりしましたし、その後アメリカや日本の新興宗教団体が信者獲得のために洗練させていったものです。ではカウンセリングをそのようなカルトと同一視するという心理の中にはどのようなものがあるのでしょうか。
 それには、それまで一度も自分のこころを向き合ったことがないという経験不足から突然、このようなこころの問題を扱うカウンセリングの場に身を置いて面食らってしまった、というのもひとつの理由として挙げられるでしょう。たしかに、「自分」のことを考えるのは、それだけに集中しても、慣れていないと最初は一人では難しい面もあるかもしれませんし、なにより、自分のこころは自分には見えにくいというのも事実でしょう。「自分の眼に丸太があるのに、相手の眼の塵を取らせてくれ」という言葉が聖書にありますが、欠点であれ長所であれ自分の本当の姿の1割も自分で知るのは困難を伴うものです。
 しかし、理由はそれだけではないようなきがします。
 
 以前、多重人格について書きました。実際に医者が診断する多重人格という病はそれほど多くはない、むしろまれであると聞いたことがあります。そもそも多重人格という精神病自体を否定する専門家もいるくらいです。ですからアメリカをはじめマスコミや出版関係者を賑わしている多重人格者の手記なるものの実例はそれほど多くはないのかもしれません。
 しかし、手記通りの多重人格者がまれであるとしても、多重人格的に生活している人は世の中にゴマンといるというのが正直な感想です。
 それは自分でやっていることを自分で全く気づかずに生活している人のことです。つまり、ユング的に言うなら、自分の「影(シャドウ)」がとても大きくなりすぎてしまった人々のことです。シャドウが大きくなりすぎて、自分像の自己認識が現実の自分とずいぶん大きな格差を生じさせています。もうほとんど社会に適応できないほど大きくなっている人もいます。
 自分で知りたくない自分の汚い部分、これが影(シャドウ)ですから、臭い物には蓋のように生きて行くと、年齢を重ねるごとにシャドウは幅をきかせてきます。そして、シャドウで生きている部分は全部無意識の中で行動ですから、本人の意識の与り知らぬところとなります。また、影(シャドウ)はそれ自身の法則性にしたがって行動します。意識から切り離された本人の特性というか性格の部分ですから、意識の中にある性格とは異なるあるいは相反する性格でもって行動したり反応したります。意識で人と接するときに合理的に行動できる人でも、影(シャドウ)で人と接するときにはエゴイズム丸出しの行動をするかもしれません。エゴイズムそのものを意識が是認しない限りエゴイズムが悪とみなされますから、影(シャドウ)の中にこの性格は追いやられるのです。
 そして、本人は自分のことをとても有能で新設な人間と考えていても、他人から見るとなんて冷酷で嫌な人間だろうということになるのです。ここに、現実との適応が難しくなる原因があります。
 そこで、現実を認識することは翻って自分の影(シャドウ)を認識することにつながってくるので、現実そのものから逃げるようになるのです。
 現実を知る、正しい現実認識は自分を知る、自分の汚い面を認めるということと同じなのです。
 ですから、カウンセリングの中には、自分はかわいそうだと認めてあげる面もありますが、他方で、自分はなんて嫌な奴なんだろうという自分の影(シャドウ)を認める苦しい作業も伴いますし、結局後者がないと現実に戻ってくることがさらに難しくなります。

 最初に述べた、カウンセリングに対して「カルトだ」という非難をなさる方の中にはもしかしたら、自分の影(シャドウ)の認識から遠ざかるために、その責任を自分にではなく、こころをテーマとするカウンセリングに悪名を投影することで影認識の失敗を正当化する試みをなさっている方もいらっしゃるかもしれません。
 自分の影(シャドウ)を認識することほど苦しい作業はありません。まして、自分の意識から遠ざけたり切り離したりしている自分の影(シャドウ)を指して「これがあなたなのだ」と言われてもまずはピンとこないだけでなく、まず第一に「拒否感」が生まれるでしょう。この「拒否感」はまさに「それが自分である」ことへの生理的反応を証明しているのですが、本人の意識は影(シャドウ)である無意識に支配されているので、意識はあたかも自分で合理的に判断したかのように「それはカルトである」と判断した気になるのです。つまり、意識と無意識がかけ離れている場合、まるで自分に関係のないことを外から注入されているようなきがします。
 まずは自分との対話からはじめなければなりません。