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セラピールーム ミル・ファイユ・ヴェルト(東京武蔵境)
催眠療法・ヒーリング・リーディング

催眠療法は、 問題を抱えた体験時の 意識レベルまで降りていって、 問題の原因を解消するのに とても有効な手立てです。 無意識は知らず知らずに 私たちの人生の 障害となっていることがあります。 催眠療法を通して、 あなたがよりよい人生を送ることを お手伝いします。

外国在住の日本人の方へのリーディングのセッション受けます(skypeで)


 私たち現代人は日々無数のストレスに晒されながら生活を送っています。しかし、人間以外の生き物と違い、人間はそれらの大量のストレスを意識で感じずに済むような心の仕組みを持ち合わせています。つまり、意識で感じるには耐え切れないほど多くのストレスを無意識というポケットの中に仕舞いこむのです。
 
 特に、赤ん坊や幼い子供は、心のキャパシティ(容量)が小さにもかかわらず柔軟性があるので、親などの大人や周囲の環境から受けるストレスを容量をはるかに超えて受け止めてしまいます。ちょうど、軟らかい風船に限度を超えて空気を入れるようなものです。限度を超えて空気を装填するとやがて風船は破裂してしまうように、子供の心も壊れてしまうのかもしれません。あるいは、限度を超えているということすら気づかすにそのまま成長していくのかもしれません。
 
 人間もその他の生き物も、環境から受けるストレスによって、なんらかの身体の変調をきたしてしまいます。
 
 国道沿いの街路樹が自動車からの排気ガスによって立ち枯れしてしまうように、人間も環境からのストレスによって様々な病に冒されます。
 
 心と身体は切っても切り離せないのです。
 
 親・家庭・環境からのストレスに長い間晒された子供は成長を阻害されます。

 しかし、もっと悲劇的なことは、子供にとって家庭という環境は唯一絶対的な世界、つまり、「全世界」を意味するということです。子供は家庭の中で「善悪の基準」を育まれるのですから、「善悪の基準」を与えるこの家庭そのものの良し悪しを判断する基準を持ち合わせないのです。どんなに劣悪な家庭環境であろうと、それは子供にとっては唯一の世界なのですから、それがすばらしい世界であると信じたいのです。

 優しい父と母であると信じたいのです。
 
 たとえば、暴力が日常の家庭に育った子供は、暴力的な父や母への恐怖に一方では耐え、ひたすらいかに暴力的環境から自分を防御する術を学びつつ、他方で暴力的な父や母からの愛情を受け取ろうと必死になります。

 そして「暴力」が「愛情」の一表現であるというふうに自分の中に取り込むのです。

 これは大きな誤解です。

 この子供の人生を不幸にしてしまうのはこの「大きな誤解」です。

 しかし、この「大きな誤解」はその子供にとっては自分がたまたま生れ落ちた家庭という「全世界」の中で「生存」するためのただひとつの手立てなのです。

 つまり、子供にとって、「生存」こそがその後の人生における「善悪の基準」になるのです。

 「善悪の基準」とは、実は「生存するための手段」に過ぎないのです。

 なぜ大人がひとつのやり方にそこまでこだわるのか、職場や家庭で目の当たりにしたことはありませんか。

 職場で書類をまとめるという本当に些細な仕事なのに、なぜそんな剣幕で怒らねばならないのか。しかも、50歳を過ぎた熟年のベテラン社員である上司が。この「こだわり」は実はその人の子供時代の「生存」するやり方に由来しているのです。小学校2年生の頃に親からなされたダメだしが、今目の前にいるいつもは悠然としているはずの「上司」の「善悪の基準」の根源なのです。

 私たちの心の中には、このような「子供」がいまだ大勢生き続けています。そして、子供時代の心と身体の反応を大人になっても続けていきます。「理性」という隠れ蓑によって自分にもばれないように巧妙に仕組んで。

 だから、私たちは子供時代の「つらい」家族の人間関係を大人になっても「持ち越す」のです。そして、自分がつらくなるようなタイプの人間を配偶者や上司など身近に「引き寄せて」しまうのです。

 さきほど、子供は「暴力」を「愛情」として受け取ろうと自ら「大きな誤解」に身を投じていると言いました。しかし、本当は、それが「愛情」ではないということは子供は心の奥の方では感じていますし理解しています。ただ自分が愛情を受けられなかったということを自分で認めることほど悲しいことはありません。

 子供は信じたいのです。

 そして「信じたい子供」は大人になっても心の中に生き続けます。

 ここが紙一重のところです。私たちは本当の親の愛情が何であるかを「知っている」と同時に、それが自分に与えられなかったことを絶対に認めようとしない。ここに私たちの生涯にわたる闘争の原因があるのです。

 幼少時に、親から自分への「愛情の架け橋」が架けられる「事業」が失敗したとき、私たちは生涯にわたって「この愛情の架け橋」を他人との間に架けようと絶望的な努力を繰り返します。まさにシーシュポスの神話のように、私たちは神から罰されたギリシア神話の「シーシュポス」のように、大きな岩を山上に押し上げてはまた転がり落ちる同じ岩を低地から頂まで押し上げる「永遠の苦役」を課されているのです。

 それでは、私たちは誰もが不幸な家庭の「被害者」なのでしょうか。

 「自分はかわいそうな子供だった」と嘆息することがセラピーの終点なのでしょうか。

 私はそれでは「癒し」の途中下車にすぎないと思います。それはなぜか。 

 ここからは不思議な話で、非常に独りよがりな考えなので話半分で聞いてください。
 

 催眠療法の中には自分の幼少時期とそのときの感情を想起する「退行催眠」がありますが、もうひとつ、自分の誕生以前の「過去世退行」いわゆる自分の「前世」にさかのぼることもできます。

 果たして「前世」が存在するのものか、あるいは魂は不死なのか、の議論は今は措いておきます。

 ですからここでの話はあくまで「前世」が存在すると「仮定」しての話です。

 私たちはひとりひとり「学び」のために「この世」に生れ落ちるのだ、とします。ひとつひとつの人生は「学び」のために「生きられる」のです。

 ある人生は多くの人を殺戮することに喜びを見出すような人生だったかもしれません。
 また、ある人生は病に冒され短命に終わった悔いの多き人生だったかもしれません。
 そして、またある人生は見返りの少ない奉仕だけの人生だったかもしれません。
 そして、ある人生では永遠なものへの憧れを持ちつつも貧乏で不足のみだが非常に満足した人生だったかもしれません。
 また、他人やその他のものを呪詛しながら死んでいったかもしれませんし、自分の犯したあまりの罪の大きさに戦慄しながら殺されたかもしれませんし、やりたいほうだいのことを為して虚無感の中で死の恐怖を味わいつつ死んだかもしれません・・・・・・。

 次の人生に生れ落ちるとき、私たちの「魂」は何らかの仕方で「前の人生」での「こだわり」を手がかりにして「次の人生」を「自分で選択する」わけです。

 と考えると、誰かが「虐待」が日常の家庭に生まれて不幸な人生を送っている、ということも、「ひとつの学び」と捉えることができます。

 人の行為が善であるとか悪であるとかは関係ないのです。

 大切なのは、その人の「魂」がいかに「学ぶ」かということであって、同時に、「魂」としての「こだわり」を「手放して」いくことなのです。

 あくまで「前世」が存在し「魂」が転生を繰り返すという仮定のもとでの話です。

 私たちは人生においてこだわりを手放し自分自身を解放していくためにこの世に生まれたのかもしれません・・・・・・。


 しかし、現実にしっかり足をつけて生きることは同じくらい大切です。

 「前世」について考えることは、現実と自分自身を見つめることからの「逃避」の態度を培いかねません。それはとても危険です。

 いっそう大切なのは、今自分の中にある感情を味わうことです。
 
 そして、他人から認められる自分ではなく、自分で認められる自分を育てること、言い換えれば、自分が自分自身の「よさ」を認められるようになることがきわめて大切です。

 いわば、本当に「自分のための人生」を生き始めることが重要なのです。

 自分の中には自分自身で無視したりないがしろにしている自分の気持ちが無数にあるはずです。

 そして、自分で自分を押し殺していることさえも、自分に見えないように画策しているのです。

 自分を不幸にしているのは実のところ自分なのです。

 でも、自分を不幸にすることを「止めさせる」ことが自分にはできないので、こんなつらい人生を今送っているのも事実です。それは「もうひとりの自分」なのです。

 自分の中には、いろいろな声が、気持ちが、怒りが、悲しみが、呪詛や恨みが、隠れています。

 私たちの心の中のポケットに「ぎゅうぎゅう詰めにされてきた感情」。今、ふたを開けて、そのひとつひとつの「ぺしゃんこ」になった感情に息を吹き込んで「本来の姿」に戻してあげませんか。そして、「本来の姿」に戻ったこれらの感情に「再会」してみませんか。

 そして、これら子供時代に無視され顧みられることのなかった無数の声に耳を傾けはじめるとき、私たちの心だけではなく、どこか具合の悪かった私たちの身体や、自分にとって脅威でしかなかった人間関係の悪循環、これらが少しずつ変化の兆候を示し始めます。

 いつもは重たいはずの心がどこか軽やかになり、いつもよりも意外なほど動ける自分を見出したり、不安を喚起する対人関係や状況においてたじろがない自分に気づくようになります。

 今、これらの声に耳を傾けてみましょう。

 それが、自分を愛する人生の第一歩です。



当セラピールームのカウンセリング・ヒーリング・催眠療法が提供できるもの

心理的な面・・・・・・

・精神科や神経科の薬では改善できなかった心の病
・職場や家庭での対人関係における苦しさ
・罪悪感や無意識に自分を犠牲にしてしまう行動
・さまざまな恐怖症
・パニック障害やうつ病などで、精神科等の薬でもなかなか改善しないもの
・睡眠障害
・つねに自分は自分の務めを果たしていないという強迫観念や罪悪感・不全感
・人の役にたっていないと不安である
・人のために動かずにはいられない自分とその後の自己嫌悪
・自分の仕事や業績が「無」に思えてくる
・人が自分のことを褒めたり評価していることにけげんな感じがする
・最悪のシナリオをいつも想定してあらかじめ自分を懲らしめる
・他人から常に攻撃されないか戦々恐々としている
・大勢の人々の考えに負けてしまうに違いない自分を感じる
・攻撃的なタイプの人を恐れると同時に魅力を感じる
・他人の責任なのに自分の責任のように感じてしまう
・些細な自分の意見を口にすることに謂われなき恐怖を感じる
・他人の表情やしぐさの微妙な点まで気にしてしまう
・親や親戚の大人の非難やダメだしが頭の中でささやきだすのを止められない
・自分が誰かに乗っ取られたような感じがする
・あるタイプの人の前に来ると、金縛りに遭ったように自由を喪失する
・いつも自分を攻撃したり非難する人を周囲に引き寄せてしまう
・自分を攻撃する人のために奉仕してしまう自分をどうすることもできない
・不幸な自分である方を選択してしまう
・汚されたり貶められたりするとなぜか安心してしまう
・絶望感の中にいることの苦しさと安心が同居しているのを感じる
・日常のとても簡単なことをするのに大きな決断が必要だ
・侮辱されたときに怒りよりも恐怖を感じる
・どんなに身体の調子が悪いときでも、自分は大丈夫とがんばっている顔をする
・身体を酷使することに喜びと使命を感じる
・最高に悲劇的で残酷な映画や小説や三面記事などに接すると生きている感覚がよみがえる
・親や親に似たタイプ、特定のタイプの人の前で自分をコントロールできなくなる
・上記のような場合に、心臓の動悸が早くなりめまいに襲われる
・その後、悪夢などに襲われる
・Noといえない自分への自己嫌悪・罪悪感
・いつも生きている心地がしない
・その結果、買い物・ギャンブル・アルコール・薬物・ポルノグラフィーなどへ
 の依存を繰り返す
・身体的にも心理的にも自分を傷つけ自分が軽蔑され自分が苦しむ状況に自分を追い込みがちである
・恋愛などの対人関係において、いつも同じパターンを繰り返している
・配偶者や家族との関係のなかで、いつも犠牲になるか責任感や義務感のようなしがらみにがんじがらめにされている感覚から抜け出せない
・日々、口にする食物が「砂を噛む」ような味気ないものに感じられる
・ときどき自分で自分をコントロールできないほど怒りにとらわれる
・怒りはいつも口にすることができず、自分の中に押し込んでしまう
・朝、起きたときに、ふとんからどうしても出ることができないほどの恐怖感や自信のなさやおっくうな思いにとらわれる
・一日の終わりに、できるだけ早く死ねることを願う
・これまでどんな本を読んでも対人関係における自分の行動や感じ方のまずさを改善できなかった
・正月やお盆など血縁が集まる場所に行かねばならないという義務感と罪悪感と恐怖に毎年苛まれる
・自分と自分の家族と自分の人生に対して諦めている
・家族や職場の人のちょっとしたしぐさや何の意味もない言葉に激昂してしまう自分にとまどう
・長年、「生きがい」という言葉から縁遠い生活を送っている

身体的な面・・・・・・

・長年、喘息や神経痛に苦しめられている
・毎日、何錠から何十錠もの薬を持病のために服用している
・病院の診断でも原因不明の皮膚病や内臓疾患に苦しめられている
・場面に応じて、心臓や呼吸器が苦しくなる
・日焼けでもないのに、顔面に血流が流れにくいため、色黒になっている
・女性の場合、生理不順や子宮周辺の不具合に苦しめられている
・怪我などが以前より治りにくくなった
・何の理由もないのに、場面に応じて、手足や顔などの麻痺に見舞われる
・人前で話さなければならないときに、予想以上の脂汗や心臓の動悸に苦しめられる
・一年のうち特定の季節や行事のときに、重い風邪などでダウンしてしまう
・原因不明の聴覚不良がある
・漢方や種種の民間療法や特定の宗教などに頼っても根治することのできなかった病

これらは数ある症例のうちほんの一部にすぎませんが、もし心の病が原因となっているならば、これらの症状を改善の方向に向けることができます。

当セラピールームは、武蔵野の面影の残る武蔵境の自宅の一室にあります。もし、ご縁がございましたら、ぜひ一度足を運んでみませんか。

自分を犠牲にする人生から自分を愛し自分を生かす人生への方向転換のお手伝いができたらと思っております。




































私たちはカトリック信仰を持っています。カルトでお悩みの方はご相談ください。
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